2008年12月14日日曜日

椅子がほしい・・・


いいイスが欲しいーその気持ちはずっともっていながら実現できずにいる。この世界、質と価格が比例するある意味すきのない世界ゆえに計画性のない?自分にとってはまだまだ先になりそうだ。
いいイスは、座った瞬間にわかるというけれど、そういう意味で今一番気になるのは、ハンスウェグナーのGE280というシリーズのイージーチェア。この作家デンマークの有名なデザイナーで生涯500ものシリーズを世にだしたそうだ。

GE280ではないけれど、この人の椅子は、六本木の新国立美術館にさりげなくおいてある。実は、この美術館はイス好きには?たまらない場所で、ここでしか座ることのできないイスがいくつかおいてある。50万もする椅子なんかも平気で座って居眠りできるーある意味とってもリッチな場所。

2008年12月3日水曜日

ハンマースホイ展に行く


デンマークの代表的画家らしい?ヴィルヘルム・ハンマースホイ展を観に行ってきた。

先日の日曜美術館で知って、その時は、ちょっとEホッパーに似ている印象をもって俄然ひかれてしまった。でも実際観てみると、そこには、ホッパーとかけ離れた静かで独特の空気感があって、その静と寂の世界にどっぷり浸かってきた。

写真は、デンマークの空のような(いったことないけどー)下での看板。左にクリスマスツリー、この上野の美術館はル・コルビュジエの貴重な建造物で、世界遺産に登録を狙っているらしいー美術館が遺産かーへんなのー

2008年12月1日月曜日

サインをみすごすな!


いよいよ12月ーいやー今年1年は結構しんどいことが多かったです。
少し流れをかえないとーなんて真剣に思っています。


「サイン」って映画知ってますか?スリラーかと思いきや、次々と兆候があり現象がある、しかもその現象があまりに奇抜なので実はあまり評判のよくない単なるB級UFO映画っていう人も居るのですが、僕にはちょっと違うように感じたんです。
この映画のテーマはサイン、人の人生の全てはサインで決まるー重要な局面では誰にでもサインはでている。くだらない奴は、このサインを見過ごす。サイン:兆候をきちんと見極めて、自分の歩み道を決めろーってこの映画は示しているような気がするんです。

ここのところ邪念?が多かった。それで自分はサインを気に留めていなかった。それもひとつの流れだからしかたがない、卑屈にならずに来年は飛躍の年にしたいと思います。

新宿のショウウインドウに張られていた、トナカイ。キラキラ輝って綺麗でした。この飛躍のポーズをみていたら、ふっとこんなことを考えていたんです。これもサインかなー飛躍しろって!サインをみすごすなってー

2008年11月27日木曜日

老犬が逝く

16歳の柴犬が先日の雨の寒い朝に逝った。
老犬になってから味わいが深くなり、自分とのコミュニケーションはよくなっていた。
ところが今年に入って老犬特有の痴呆が出始めて、その世話に悪戦苦闘することになる。 今となってはもう少し情報を集めて、最後を過ごしやすくしてやってもよかったという後悔の念と、ちょっと介護的な世話がしんどく面倒になっていたこともあり、きちんと気持ちが入っていなかったというおもいで、沈んでいる。
しかし、ここにきての犬の生活を振り返って、弱ってから考えさせることは多かった。 散歩でふらついたり、へたり込むときの悲しそな表情、それは犬自身も老いを受け止められていないー人も犬も加齢で衰え、いつかは絶えるーそのあたり前の自然の摂理をきちんと観察して、冷静に受け止めて、できることがなにかをわきまえて、その日に備えろー生き物としての尊厳を保てーなどなど・・・色々のことを教えてくれた犬だったけど、最後に人として本質的なこと、忘れてはならないことを教えてもらったような気がした。


2週間前

2008年11月24日月曜日

未来の自分へのいたずら

暮らしの手帖で、佐藤雅彦さんの記事が目に留まった。
広辞苑をパラパラとめくっていたら、「へそくり」という意味の解説のページに1万円札が挟まっていたーこれは、かつて、自分が未来の自分へのちょっとしたいたずらを仕組んだものーという内容だった。

実は自分も同じような、いたずらというかーちょっと未来へ投げかけをして遊んでいた時期がある。
そのほとんどは小学生のときのもので、本のしおりへの謎かけのような走り書きから、身の回りにおきたことの写真を挟んでおくようなことまでー
それは日記を読み返したり、アルバムで写真を眺めたりとは明らかに異なる、リアルな過去の質感を感じる。
おそらく過去の出来事を受け入れる準備がなく、それらが起きるということがポイントかもしれない。
なつかしい香りに予期せずに包まれるようなそんな感じだ

2008年11月18日火曜日

横浜で横たわる女 御茶ノ水で山登りする男



最近どうにも美術音痴になってしまい、何も観ても以前のように心を動かされない・・・
一方、こうしたちょっとしたところに描かれたもの目を留まる。

御茶ノ水の山岳愛好家の集まる老舗喫茶店のマッチ、横浜 赤レンガのカフェの角砂糖。〈マティス?〉
どちらもシンプルな線画ゆえ、軌跡が流れるようで綺麗で奥深しい。

実は、以前この角砂糖の粋をブログに載せたら、ある方の目に留まり、ある種の共感を頂き、ささやかながら今でもやりとりがある。
ブログって読んでいる方に迎合していかないとある種のモチベーションが保てないという人もいるが、僕は、むしろ少数でもかまないので共感者?を探すために感じたとおりに書くのが一番とか思ったりする。広く浅くより、せまく深くをめざす。

2008年11月11日火曜日

潮風にあたらないVIP


千葉の幕張にある球場で取材。
VIP席とやらに初めて入ったけど、せっかくの海岸沿いにある球場でこんなガラスの部屋に入ってしまうのはなんとも惜しい。VIPはトイレにも行けないし不自由なことが多いなんていう人がいたけど、ほんとだと思う。
野球はWBC?しか盛り上がらない自分だけど、潮風に吹かれてナイター観戦なら楽しそうーとっくにシーズンは終わりですが・・・

2008年10月6日月曜日

舟越に昂らない・・・


久しく美術館に行かなかったが、この夏の終わり、庭園美術館で舟越桂の展覧会を観てきた。

大のファンの舟越の木像が、庭園美術館で観られるのだから、かなり期待して訪れた。

ところが、ここのところ、どうにも精神的に余裕がなく感度がすこぶる鈍い?ことが災いして、なんとも消化が悪いような妙な後味だ。
新作のシリーズものの「スフィンクス」は、悪くないのだが、どうも心が動かない。


まぁこういうこともあるかー

帰りながら、舟越はやっぱり初期のものがいいなーなんて想って、後々作品集を眺めたら、あれ?なんかインパクト弱しで???でさらにショック。


2008年8月2日土曜日

東洋のプラダと呼ばないで・・・


一澤帆布の相続問題は全国紙に掲載されるほど話題になった。振り返ってみると次男・信三郎がマスを使い大々的に暴れた印象だ。少なくとも僕の印象では長男は、あまりコメントや釈明などを出さなかったようにも思える。
そして2つに分割したお店の今日の製品をみると、自分の一澤のイメージは長男の元でつくられる品々のような気がする。
信三郎は、職人を連れ出してカラフルな柄や新たな素材の組み合わせなどで大きく変えようとしている。自らの名前をカバンに貼り付けるという行為も、なんとも次男っぽいーのぼせーをみてしまう。

僕は、一澤は30年前から使っていていくつも持っているけど、そのよさは迎合せずにまもりでいくところだ。「東洋のプラダ」とパリコレで呼ばれても、まったくのぼせなかった、むしろ「京都の一澤」で通したところが真髄だ。長男・本家にはそのブランドの真髄を継承しているような気がする。

仕事仲間からの嬉しいお土産!一澤頒帆布のペンケース。このワサビ色!一澤の色選びは難しい。色々試したけれど自分はこの色と合うーそういうところを見抜いて、お土産の色を的中させるところが、またまた嬉しいところだ。
新品の一澤は、なんかちょと恥ずかしいような気になるーこれもこのブランドがまだ活きている証かな・・・

2008年8月1日金曜日

山岳無線の楽しみ


夏の休日の午前中、近所の無線仲間と富士山登山中の仲間を迎撃するべく近くの公園へ・・・
無線にも色々楽しみ方があるようですが、山岳移動中の方と下界から交信するのは独特の世界観があります。山岳活動に無線はつきもので、小説や映画でとても緊張感溢れる交信風景には高揚したものです。
かつて穂高岳のチームと、刻一刻状況を無線でやりとりしながらベースキャンプのようなことをしたときにも興奮しましたね。

5合目から一睡もできずに、頂上を目指し、無線下界の仲間と交信するー
ケータイで(通じないとは思いますが・・・)「おれ、今富士山!」っていわれるより、ずっとシズルを感じます。
写真は迎撃用のアンテナ、上はいつも色々教えていただいてる7N4WBD  Yさんのアンテナ。下の貧相なアンテナが私が自作したものです。

2008年7月13日日曜日

いまどき・・・冬のソナタ


週末に相談モードの打合せ。丸の内のホテルのラウンジで夕刻開始。
3人でひそひし話しの中、ピアノの生演奏で「冬のソナタ」が・・・あーこの曲、既にスタンダードっていうおもむき・・・
3人が3人とも、冬のソナタをバックに、企画を熱く語る・・・まとまりは、ちょっと情緒的であり、メロドラマ的なせつなさをもった方向で・・・こういう企画って意外に?決まったりするから不思議です。

2008年7月6日日曜日

アロハー! 自作無線機SW40完成!

ついに完成!灯入れ中の自作無線機 SW40:小出力モールス通信無線機。
免許取得→筐体加工→キット輸入→制作など、それなりに長ーい道のりでしたが・・・まだまだモールス信号の練習、免許申請など、これまた先はさらにあるのですが、ここでちょっと一息?、こうしてアンテナに接続して受信だけしています。 コールサインを聴きとって、ハムラジオ・ワールドマップで送信局の所在場所を確認します。 結構色々なところから入感していますよ。

週末の朝方、サーという波音のようなノイズの中から浮かびあがるコールサイン!ハワイだ!アロハー!!
一瞬だけ、浮かび上がってノイズの彼方に消えてしまう・・・聴こえても、この微力な無線機で交信できるかは別ですが、聴こえないことには絶対交信できないことが無線の前提だから、聴こえてくることがまずなにより重要なのです。
イメージは、朝方の海岸へバイクで出かけ、移動用の自作アンテナとこの無線機で、仮にハワイと交信できたら、その日はOK、上がり?ってこういうことになるような気がします。

2008年7月3日木曜日

M&M!

M&Mが好きだと言っていたら、こんなものを頂いた。輸入版:オリジナル1.6kg!せっかく重いのを買ってきていただいたので、まずは喜んだけどーM&Mはこれでーあがりーかなって思った。(実は最近スタバにおいてある素敵な色をしたスペシャルなマーブルチョコレートにはまっている。)
食べてみると、日本のバージョンより甘いような気がする。アメリカの菓子ってほんとに甘い。このくらい甘くないとETをおびきだせないってことかも・・・

2008年7月1日火曜日

あなたのために死にたい


景色がいい開放的な場所にいくと、必ず「落書き」という類のものがある。そのほとんどが意味を成さないものだけれど、時として重い言葉がこころに残る。

ブルーモーメントに包まれる東京・晴海。その手すりには、無数の落書きがある。仕事がおわりゆっくりと歩きながら、ふっと目をやると、目を留めた1つの言葉。

「わたしはあなたのために死にたい」
「俺もお前のためなら死ねる!」と言い放ったのは「愛と誠」(ふるい!・・・)の誠だが、この言葉は勢いはあっても、重さがない、お前とやらに何かを期待しているような、あざとさを感じたりする。これが、あなたのために死にたいとくれば、その言葉はずっしりと重さをもつ・・・

会社の同僚が、かなり深酒になり思わぬはいた言葉は「俺はお前のために死にたい!」・・・おいおい俺のために死ぬなよーと返すと、いきなり重い展開へ。
同僚は2度流産で子供を失い、その亡骸を前に、ひとりでいかせるわけにいかないーお前のために死にたいーと心底思い、10年以上がたつ今もなお、時として生きる時間が空虚に感じられてならないそうだ。
人生には無駄なことはないーそうだが、彼が救われる日が彼が逝くときだとしたら、あまりに儚い・・・

2008年6月24日火曜日

ケンタロウ・サイン会にいく・・・


仕事仲間からちゃかされ、OL、女子大生の列に並び、料理研究家ケンタロウの出版記念サイン会に行ってきました。
サイン会って、藤原新也も相当興奮したけど、ケンタロウはさすがにちょいと恥ずかしかったけど楽しい体験だった。
いつか会わせるからーなんて調子のいいことを言う人もいるけど、そんなの待っていたら、いつになるかわかりはしない。
読者として、ファンとして会う(見る)がいいのであーる。
一言二言言葉を交わすが、まともなことは何もいえない・・なさけなし。

2008年6月11日水曜日

海の上にたつビル


横浜でみつけた、海上にたつビル。なんの変哲もないビルだが海上にあるだけで独特の世界観を感じる。
ここに居る人は海上ということを意識して仕事をしたりしているんだろうか。
高層ビルの上層階層と下階層では、人の精神状態に微妙に変化があるそうだ。地面に近い方が安定するという、言われてみればわかるような、つまらない結論のようだ。
海の上というのはどうだろう・・・仕事中に自分は海の上にいるんだって思った瞬間、ちょっと高揚したりするんだろうかー。お昼休みにちょっと居眠りをすると、岸から離れてこのビルが海を漂流するなんて、夢をみたりするのだろうかー

2008年5月11日日曜日

自作無線機 外観完成!

部品あつめ3ヶ月+GWの夜中、朝方などの細切れの時間を利用してここまで完成しました。
でも実は外観だけです。中の基板キットが届かないんで。やることがないので、外観に結構時間をかけてしまった。
このつまみ秋葉原でデッドストックもので色が小豆色でなんともいえない質感なんです。先につかうことを決めていた丸いメーターと合わせてレイアウトを決めていきました。つまみ類を極端に狭い場所につめてレイアウトするのは、航空無線の手法です。右のスイッチのガードは、SF作家の野尻抱介さんのHPに紹介されていた手法をまねしてみました。バックパッキン中に不用意にスイッチが入ってしまわないようにするためのガードです。東急ハンズの端切れのアルミ材を加工して造りました。スイッチと蒼いパイロットランプが入っています。ハンズでの端切れは中央のブラゥンのパネルのアクリルも求めました。ハンズは一般的には高いけど、この端切れものを結構掘り出し物があって重宝しています。
スピーカーはケータイ電話の小型のスピーカーを内臓するためにアルミのパンチ板を加工して取り付けました。ちょっとレトロな無線機のイメージに寄与しています。ほんとはねじ類も+ではなく-の旧式をつかいたかったんですが、まぉ凝りだしたらきりがないので、ハンズで適当なものを求めました。
まーるい赤いシールのJI1KZNとは僕のコールサイン。
軍用色は嫌だったんですが、ネィビーブルーで塗装しました。

ムードを盛り上げる?ためにハムラジオ用の世界ゾーンマップをトップカバーに貼り付けました。まぁ実際は日本国内、アジアあたりが当初の目的です。運がいいとヨーロッパやUSといったところと交信できるようですけど・・・

2008年5月9日金曜日

ひさびさにみてしまいました・・・

ホームで電車を待っていたら、ちょっと空気がかわって・・・あー何かあるなーって・・・ふっとこれがみえた。線路の上のあたりに顔がみえるでしょう?赤いもののちょっと上、帽子をかぶった子供のような顔。デジカメの拡大でどこまでみえるかなー
こんなにちいさい・・・と思うけど、こういうものって実は大きさじゃないんですよ。久々にみてしまいました・・・

2008年5月7日水曜日

ローライ35の会、お台場へ


ローライ35というドイツ生まれの小さなフィルムカメラの同好会、何度かブログにもイベントを記事にしましたが、今回、お台場ツアーに参加してきました。晴海から海上バスでお台場に上陸、日没のお台場を撮って虹橋をわたります。
そもそも、あまり夜間撮影とか向かないというイメージのこのカメラは、実はすさまじい潜在的?な性能があって、クルマでいうとボーイズレーサー、バイクではカフェレーサーのようなところが、自分好みです。
今回のツアーは、実は私のアレンジでツアーを始めてナビゲーションしてきました。

個性的で楽しい参加者たち、みんな写真を撮っていることを楽しんでいるふうが何よりでした・・

2008年4月20日日曜日

いよいよ、無線機をつくります。

これはハムラジオ用の無線機の外装パーツ。半年ぐらい前から,暇があると秋葉原で少しづつパーツを集めている。
いよいよ自作の小出力のモールス通信機を組み上げることにしたのだ。
肝心の中身は、ゼロから作るのは、さすがに技術力がないのでパスして、ここはアメリカ製のキット(SW40)を個人輸入して組み込むことにした。小出力でありながらほとんど無調整でシアトルまで電波を飛ばすことができるような実績のあるキット。
その分、外観にはこだわりたい、今の時代、ハムラジオはムードが大切だから。
イメージしたのは、先の「夜間飛行」にでてくるようなちょっとレトロな無線機。頭の中でイメージしたものをカタチにしていくのは楽しい時間・・・
秋葉原の部品屋の店先で光っていた青色ランプ(LED)は、神秘的で美しかった。つまみは色が気に入った小豆色のもの。ケースの塗装はタミヤの模型に使うものの中から、ネィビーブルーを選んだ。丸いメーターは70年代の、壊れたソニーのトランシーバーから分解したもの、このトランシーバーで自分は無線の楽しさを知ったようなものだから、トランシーバーとして再生が無理ならせめて部品でも活用したみたいと考えた。
完成すれば、送信されるモールス信号は、空の上の電離層へ、そして太平洋、大陸そしてまた電離層へと・・反射を繰り返して地球の裏側まで届くのだ。
完成予定は初夏。実は無線機が出来ても、モールス通信をするために今のもののひとつ上の国家試験を受けばならない、ゆっくりと歩く遠い道、でもけした急ぐ必要のない道、そしてとても楽しい道でもある。

巷では自作の無線機に名前を付けることがある、つけるとすると・・・
 VOL DE NUIT :夜間飛行 ーおっとオタクっぽい?笑

2008年4月14日月曜日

サン=テグジュぺリ 夜間飛行 南方郵便機

何度も読みたくなる本がある。
同じ本を読み続けることを不可思議に思う人がいるらしい。
自分にとっては、本は繰り返し読み深めていくものー音楽だって同じだ。

この2冊は、とても読みにくい本、 文体は古く、本筋から延々と蛇行をしていく展開も忍耐が必要かもしれない。
でも、そうした混迷の文節の中から、輝る美しい叙事詩のようなシーンにめぐりあえる。自分はそこを手繰り寄せるように何度も読みふける。

飛行士のクールで孤独な世界観、飛行機を擬人化するシーンや無線や計器に関する描写がちりばめれていて、バイクや無線ロマン?に共鳴するのだが、特に「夜間飛行」のパタゴニア線の郵便機が嵐に遭遇するシーンが絶妙。
四方八方を嵐にいく手を阻まれ、天空に認めたかすかな星の光に吸い上げれるように機を上昇させると、そこは嵐とは打って変わった月の白い光の世界、美しさと静けさに包まれる、しかし燃料は後半時間・・・ 自分が何度も何度も読み続けている好きなシーンだ。

2008年4月1日火曜日

日本にはmarumanがある!

marumanのスケッチブック、図案シリーズが50周年だそうだ。
初めて手にしたスケッチブックが、まさにこれだった。何冊つかったかなー絵が下手な自分はちょっと使いこなせずに悔しい思い出もある。
ノートブックは初めてみた。これが、50周年の特別シリーズなのかわからないけど、ハムラジオ用のノートを探しにいって思わず買ってしまった。最初はロディアのノートにしようかと想ったけど、これがみつかってほんとによかった。(だいたいロディアのメモパッドは重くてよくない、プロのライター御用達っていうけど・・・で使っている人なんてみたことない、プロは無印のノートさ!)

日本に夢が溢れていた時代、人々は、このスケッチブックに、たくさんの夢を描きました。
未来の生活を想像して描いた子供がいました。
美しい風景や、愛しいひとの姿を描いた人もいました。
そして今も変わることなく、大勢の人たちが、スケッチブックにそれぞれの夢を描きだしています。
それが私たちの、大きなほこりです。  (マルマンのホームページより)

あーそうなんだ、絵を描かなくていいんだ。スケッチブックって夢を描けばいいんだ。
知らなかった・・・

2008年3月20日木曜日

香らない不思議


マックの新しいプレミアムローストコーヒーを前に首をかしげる・・・だってなぜか、見事に香らない・・・苦味にもちょっと違和感がある。容器をスタバ、エクステリアカラーを意識しているのもちょっと悲しい。 100円だからしょうがないーではなく100円でプレミアムと名乗るのが間違っている。

コーヒーは結構色々と凝った時期もあったが、今ではあまりこだわりはない。もちろんおいしいことにこしたことはないけれど、インスタントでも街の自販機でも、その気分や状況によっては充分に楽しめる。また体調や気分が敏感に味覚に反映する世界でもあると思う。こういうミズモノ的なコーヒーの側面を悟ってからは、コダワリはどんどん萎んじゃった。

拘りを捨てると、人は自由になれるのかー今までよりある意味コーヒーを楽しめるようになったような気がする。

でも、ホンモノ、うまいふりをするのはやっぱり敬遠する。このマックのように・・・

この手のコーヒーでまともなのは、競合のロッテリアだ。ブルータスのコーヒー特集でスタバよりよい評価を得て、試してみたら地味ではあるけど、そこそこおいしい。でも名前はプレミアムでもスペシャルでもない、ただのレギュラーコーヒー(いれたて)、これでいいのだ。 

2008年3月16日日曜日

キャンベラは快晴・・・

バイクで山の麓まで行き、そこからは歩けるだけ歩いて、野宿ということを仲間3人で繰り返していた時期がある。
タープの設営、夜の食事までが共同作業で、後に各々の楽しみにうつる。楽器を奏でたり、酒を飲んだり、本を読んだり、星を眺めたりと・・・ 各々自由気ままな夜を過ごす。
ある晩、友人が小さな手作りのモールス通信の無線機で交信を始めた。ろうそくのランタンのか細い灯りの中、無言で手を小刻みに動かしてツートツート・・・と交信する友人。ノイズ交じりに聴こえてくる断続する電子音、嵐の夜に気象通報をラジオで聴くような独特な雰囲気に包まれる。友人は国内を手始めに、その手の平に乗るような小さな機械で、なんと海外とも交信を続けた。
灯りのロウソクを使い果たすと、その晩のお楽しみはおしまい・・・寝袋にもぐりこみながら・・・「キャンベラは快晴らしいー」と友人がつぶやく。
八ヶ岳の山奥へ俗世間から遮断されているのが本望なのに、なぜかその一言は心の残った。
この友人とは、その後、音信不通になってしまったが、この冬に無線を再開した自分は、いつの日かこの友人と無線での再会をほのかに期待している。できれば同じように小さな自作のモールス通信の無線機で。

写真はラジオ・タンザニアを受信中の無線機。眠れない夜はトロピカルバンドと呼ばれる短波放送帯を何気なく聴く。
ラジオによるとタンザニアも今日は快晴だそうだ。

2008年3月14日金曜日

ちいさなプリズムの話し

オペラシティへの帰り道。
光の周りがいいので撮っていたら、七色のハレーションが起きた。
かつて、光学性能の悪いデジカメを使っている時分は、多発して、逆に面白がって積極的に撮っていたっけ。
小学生の頃、ポケットには小さなプリズムを忍ばせていて、いつでもどこでも太陽があると七色の光を映し出していた。
原理よりも現象が自分にとって何より楽しかった。慣れてくると自由自在に光を操れるようになった。
光を何より意識したきっかけ・・・それが小さなプリズムだった。

今デジカメで、こうした七色のハレーションをうつすことは、光を意識して、光を操って、写真に写す、そんな癖は、全てあのプリズムから始まっている。

2008年2月14日木曜日

ハワイの引力


西麻布のプロダクションにかかげられた絵に思わず魅せられてしまいました。
どこかで、観たことがあるなーと思っていると、そこのボス曰く、ハワイのサーフィン雑誌の表紙を長年にわたって描いていた作家の原画とのこと。そうか!むかし神田の古本屋にいりびたっていたときに、何冊か買った記憶もある。当時のポパイにも紹介されてたっけ・・・
ぐわーっと?色々な想いが交錯して、絵の世界に引き込まれてしまった。あー自分にもこういう感性がまだあったんだーなんて妙なことに関心してしまったのでした。

2008年1月22日火曜日

渋谷 とんちゃんへいく


とんちゃんは、渋谷で評判の韓国焼肉の店だ。ここは名の通り豚が中心。脂身たっぷり?の豚を鉄板で焼くという素朴な焼肉だ。サンチュに挟んで食べるのがとてもおいしい。 豚の割りにさっぱりしていていくらでも食べられてしまう。
はさみできりながらまさに、ミスとんちゃんのような女性(失礼?)が焼いてくれる姿もいい。
鉄板が斜めになっている。これで豚の脂身が自ら豚を揚げている、これが美味しさの秘密かも。そしてその脂は、そのほとんど傾斜で滴り落ちる。これは健康的だなんておもっていると、その脂の先には、キムチが控えていて、その脂を受けておいしいキムチ炒めが自動的にできている。ときとして韓国料理にはこうした落とし穴がある。つまり健康的に脱脂していておいて、最後にはそれを全て食べてしまうーまさに背徳グルメなのだ。

美味しくておなか一杯、とんちゃんへ行くーというより、とんちゃんになるーと言ったほうが近いかもしれない。

2008年1月15日火曜日

音の宝石箱


年末の大掃除で、カセットテープがお菓子の缶に一杯出てきた。80年代後半のものが中心で、ちょうどコンサートのツアークルーやイベントの仕事で全国をめぐっていたときのもの。

コンサートのツアーは全国を集中的に廻るので、一ヶ月以上、地方を巡業することになる。当時のスタッフは、カセットテープに自分の好きな曲をいれて持ち歩いて、ツアー後半では、自分のテープに飽きて仲間と交換したりしたものだ。結構しんどい仕事でもあったので、音楽で紛らせた様々な苦労は今や音楽とリンクした、なつかしい思い出になっている。

いよいよ90年の頭に僕もその仕事を東京ドームで卒業することになり、ドームのエアハッチが開くのを待っていると、音響さんが無造作に餞別といって包みをくれた。その中には、このソニーのプロ仕様のカセットレコーダーが。『もう、カセットの時代はおわりだからなー』って彼の言葉が身にしみた。

さすがにプロ仕様のことだけあり、先日埃を払い、出てきたカセットテープをかけるとちゃんと動いた・・・ツアーテープから流れる80年代の音楽たち・・・・かすかに音をたてて、くるくる廻るテープ、VUメーターの針がけなげにジャンプするのをぼーと視ている・・・なつかしく何も手につかない。 音の宝石箱と過ごす、お休みの午後はどんどん過ぎていく。

当時の出たばかりのCDは記憶層がはがれはじめている。そしてその後に出たMDは、エラーを連発する・・・結局、音が揺れてもノイズが上がっても、カセットテープが生きている。そう考えると、こうしたメディアの進歩って、なんなんだろう。


2008年1月10日木曜日

もっとクールにいきたいときだってある・・・

カプチーノを頼むと、時々こういうデコ?をされて出てくることがある。さいしょは、それなりにおもしろがっていたけど、よくよく考えると、もっとクール?にカプチーノを飲ませて欲しいーとおもうことだってある。 ふ~戦士の休息・・・なんておもってこれが出てくると、あまりにお茶目すぎる・・・

それに、こうして出てくればきたで、これを崩すことへの躊躇がある。人形焼きを食べるときちょっと(ほんとうにちょっとだけ・・)食べにくいとのおもいと似てはいないかー
そーと下から崩さずに飲みはじめたら、だんだん流れてウサギが摩訶不思議な生き物になって恨めしそうに消えた・・・これでカプチーノをじっくり楽しんでいるといえるだろうか・・・

2008年1月7日月曜日

あけましておめでとうございます

今年もよろしくお願いします。
1ヶ月近く放置しましたが、ぼちぼち再開します。
どうぞよろしくお願いします。

お正月に訪れホールにあったいわゆる「公衆電話」。こんなに素敵に進化していた。
街から、あの緑色の公衆電話はどんどん消えているが、実はこんな新型があるなんて知らなかった。
ホールの片隅で青白く光るこの電話は、美術品のようにうっとりするぐらい美しい。
そもそも、小銭をポケットから掴みだし、手帳を片手に公衆電話に向き合あうこともなくなった。でもその光景はわるくないし、自分としても嫌いじゃなかった。

夏の日の夜とか、このひんやりするような蛍の放つ青い光の公衆電話で話すなんて、結構粋かもとおもってしまうのです。
そもそもケータイで話すことは、ほとんどどうでもいいこと・・・なんだから・・・