2008年8月2日土曜日

東洋のプラダと呼ばないで・・・


一澤帆布の相続問題は全国紙に掲載されるほど話題になった。振り返ってみると次男・信三郎がマスを使い大々的に暴れた印象だ。少なくとも僕の印象では長男は、あまりコメントや釈明などを出さなかったようにも思える。
そして2つに分割したお店の今日の製品をみると、自分の一澤のイメージは長男の元でつくられる品々のような気がする。
信三郎は、職人を連れ出してカラフルな柄や新たな素材の組み合わせなどで大きく変えようとしている。自らの名前をカバンに貼り付けるという行為も、なんとも次男っぽいーのぼせーをみてしまう。

僕は、一澤は30年前から使っていていくつも持っているけど、そのよさは迎合せずにまもりでいくところだ。「東洋のプラダ」とパリコレで呼ばれても、まったくのぼせなかった、むしろ「京都の一澤」で通したところが真髄だ。長男・本家にはそのブランドの真髄を継承しているような気がする。

仕事仲間からの嬉しいお土産!一澤頒帆布のペンケース。このワサビ色!一澤の色選びは難しい。色々試したけれど自分はこの色と合うーそういうところを見抜いて、お土産の色を的中させるところが、またまた嬉しいところだ。
新品の一澤は、なんかちょと恥ずかしいような気になるーこれもこのブランドがまだ活きている証かな・・・

2008年8月1日金曜日

山岳無線の楽しみ


夏の休日の午前中、近所の無線仲間と富士山登山中の仲間を迎撃するべく近くの公園へ・・・
無線にも色々楽しみ方があるようですが、山岳移動中の方と下界から交信するのは独特の世界観があります。山岳活動に無線はつきもので、小説や映画でとても緊張感溢れる交信風景には高揚したものです。
かつて穂高岳のチームと、刻一刻状況を無線でやりとりしながらベースキャンプのようなことをしたときにも興奮しましたね。

5合目から一睡もできずに、頂上を目指し、無線下界の仲間と交信するー
ケータイで(通じないとは思いますが・・・)「おれ、今富士山!」っていわれるより、ずっとシズルを感じます。
写真は迎撃用のアンテナ、上はいつも色々教えていただいてる7N4WBD  Yさんのアンテナ。下の貧相なアンテナが私が自作したものです。