2012年12月8日土曜日

大人のお祭り

この季節になると、私は夜な々、酉の市に出向く・・・
冬の祭りは、その喧噪に師走を感じ、寒々とした空気は硬い。
子供はほとんどいない、そもそも祭りは大人のものであってほしい。
若年層も、ここでは大人の流儀に従っている、これは珍しい展開といえるかも。



2012年12月5日水曜日

夢の時計

20代の後半、飛行機の隣席の方の腕元に目がとまった。気品にみちた紳士の多針時計、風防には窓の外の雲が映り込んで美しく輝いていた。腕に巻かれた有機体のようで、その印象があまりに強く、以来、夢の時計?へ。

古いサーキット名を冠したクロノグラフは半世紀にわたりモデルチェンジを繰り返す、近代的なデザインになり当初の印象が希薄になって、さらに価格も高騰して、手に入れることもないかなーと思うようになった。ところが夢は、わずかでも想い続けることで実現するって、本当で幸運な偶然がいくつか重なり手中に・・・


人を待ちながら、ふっと時計に目をやると、イルミネーションの灯を受けて、それはそれは、見事なまで綺麗だった。
ふつふつと心の底から湧きあがるものに満たさる・・・いまどき時計ごとき?にここまで心を動かされるとは新鮮だった・・・
そうそう、いい時計ってこういう不思議な力があったけ、それはまさに自分が失っていた感性、忘れかけていた高揚感だった。

2012年11月25日日曜日

カブタイヤの交換

カブのタイヤが限界寿命を迎えた。
自分で交換することで工賃を浮かし、ここは奮発してミシュランを履かせることにした。
オリジナルは廉価のIRC、さらに亀裂が入るまで使ったタイヤが新品のミシュランになるのだから、その違いは明確だった。
従来のトロさが抜けて、機敏に反応する挙動になった。
これはちょっとある意味、期待はずれではあるが、一方ちょっとだけ通勤のわずかな時間が楽しみになったりしている。
消耗品の寿命を把握して交換すると愛着が増すということがある。
物としての寿命をまっとうさせたということが精神的によいし、何より替えることで、効果が
体感できれば、なおのこと。言いなり?で交換しているとこのことがわからない・・・かも。

2012年10月20日土曜日

静かなる松島 宮城

半日仕事がオフとなった・・・仕事仲間は未だ震災の傷跡が残る沿岸部を見ておいた方がよいという。しかし、単純に見物気分と訪れる気がしないしー
とりあえず電車に乗っていけるとこまで行ったら降りてみると、そこは松島海岸だった。松島以降、石巻方面は未だ線路が寸断されているのだ。
松島の観光のにぎわいは敬遠して、歩くこと20分・・・橋がかかる島、そこは小ぶりな神社と隠れたような浜辺、不思議な植物がひっそりと息つく、小ぶりな島だった・・・
この橋で島へ上陸・・・


綱を伝わっておりていくと、砂浜に出た。人の気配や生活感が希薄な無人島のような趣だ。
眺望もさすが日本三景に入っているだけあって美しい。

ひっそりとたたずむ神社は小ぶりながら、しっかりとした重力を放つ
地元の若者がたたずむ。どこまでも平穏で静かな空気に包まれる。今年撮ったささやかな写真で結構気に入っている一枚となった。
復興の地で心を強く動かされるのは、何の変哲もない静かで平和な姿だ。
神社の地場の力で、災害から守られ、静かに様々な動植物がたたずむ島。小さな入り江には、エメラルドブルーの波が漂う・・・そしてその片隅の二人、そうした景色こそ、復興の兆しといえないかー

2012年10月8日月曜日

タンタン雲にのる・・・

タンタンを改めて紹介すると、かつてカメラマンの方が旅に持ち歩くお守りの小さな熊に感化されて、2000年のNYのソーホーで手に入れた人形だ。以来国内はもとより、友人宅に居候?ついて世界の旅へ…普段は本棚の隅に居るとけれど、これぞと思うときは必ず同行している。
さすがにちょっとくたびれてきた感はあるけど、まだしばらくは本棚の住人と旅行家とを繰り返すことになりそうだ、

タンタン近撮ということで、先日の空撮でもポケットに忍ばせて、ご覧のとおりの記念写真。

2012年9月27日木曜日

やりのこした事マイナス1

自分の中で、やりのこした感のあることが、いくつもある。
機会は永遠ではない。
だから、その体験をすると達成感がある。

私のやりのこしたことのリストには、東京の空中散歩がある。
自分のイメージでは操縦するモーターライドのようなものに、爺さんになったら夜な夜な近郊の丘の上から離陸して、夜明けまでに東京、横浜を旋回して戻るというものだ。もちろん非合法だから、お咎めはあるとは思うけど、爺さんなら・・・許してくれる?かも
東京での自分の人生の軌跡を一晩で、空からめぐる!最期が近いとすると人生の仕上げの1つとして悪くない発想だと思う。

今回ヘリコプターで1時間ほど東京、横浜をめぐることができた。
目的は空撮だけれど、自分は立ち会いゆえ、じっくりと窓景眺めることができた。
夜間飛行でもなければ、自分の好きなように飛べないけれど、これが現実的なヤリトゲだろう。
やり残したことが、また1つ・・・

空から見る東京は、まるで小さい箱庭の中のようだ。
実際東京横断するのに、ヘリコプターだと数十分だけど、空の移動はゆっくりと穏やかだった。
繰り広げれる私の東京での軌跡を空からたどる旅は、素晴らしかった。


ジュペリの飛行紀行文がどうにもセンチが感じを受けたけれど、その意味がわずかながらわかったような気がする。




2012年9月17日月曜日

復興の地の音楽隊

宮城・仙台のイベント音楽隊、自衛隊と警察と一般の混成音楽隊だ。
「あのときは、何も考えられず、ただ人の命を救うために・・・体がいうことを効かなくなるまで動いていた・・・」
その言葉はどこまで重い。復興をテーマにした演奏は、淡々としていてクールなイメージが伝わる。それは、体を張って郷土を守りぬいた人々がもつ冷静さに他ならない・・・人としての無力さを突き尽きられて、それでも力を発揮した人々がくぐりぬけてきたものの重さを感じる



2012年9月1日土曜日

ルール001 本を大切にしない

古本屋で文庫本を手に入れ、まずは表紙はさっさと捨ててしまう。
読み始めて、これは最後までいけそうもないと感じると、潔く処分する・・・・本も最後の役目を果たそうと必死?になる、最後まで読める本は5冊に1つぐらいだろかーこっちもよい本にめぐりあうために選ぶときは構える。
海外のちょとふるめの本は、前半で読者をためす?ようなところがあるから、要注意。読みにくい前半を通りすぎて悦楽?が待っているから、読み続けるかどうかの見極めはちょっと難しい。

本は大切に!という世代だかが、私の最近の本との付き合いかたは乱暴そのものだ。
本を大切にして本棚に綺麗に並べて浅いつきあいより、短時間でもよいから深いつきあいを好む。
その乱暴さの中で、本との素の付き合いがあり、それが古本文庫本の最後の役割でもある。

楽しませてくれた本は、思いっきりぐっと握む。本へのネギライのつもり・・・

2012年8月19日日曜日

仙台のおばけ電波塔


おばけ煙突ってご存知だろうか?
複数の煙突が角度によって本数が異なってみえる・・・と書いてしまうと情緒がないが・・・
昭和30-40年代のワンパクにとっては、、もっとも身近な不可思議な事象だったような気がする。

天高く伸びるものに人は、憧れとともに畏怖にも似た感情がどこかにないかー
私は塔をみると、ちょっと高揚したりする。

写真は仙台駅に滑り込む直前の新幹線からの車窓だ。
ここのところの乱暴な低気圧のおかげか、夕刻は素晴らしい景色をみせたくらた。
遠景の3本の電波塔は、生き物のように本数をダイナミックに換えてみせてくれる。
理屈や次なる展開はわかっていても、何度も観て、何度も本数を小さくつぶやいて数えてしまう。


2012年8月4日土曜日

遥か彼方向こうにいってしまった京都

京都は何年ぶりだろう・・・
かつての友人のお薦めの哲学の道を歩く・・・祇園、再会の印象は、若い娘に媚びた街
一見さん?には表層の部分しかみせない京都。
写真のように、コントラストの影にこそ、本当の京都が潜んでいるのだが、その闇は深い。

2012年4月30日月曜日

40年振りの炎

古い机の引き出しの中から出てきた固形燃料・・・おそらく40年近くたっている。父が兄と私をキャンプに連れていってくれた時分のものだ。
今や固形燃料といえば、バナーの非常用予備というおもむきだが、実は固形燃料には独特の魅力がある。ときたま軽装備でバイクツーリングに行き、出先で軽くお茶というときには、固形燃料で充分だし、大きく揺れる炎はとても魅力だ。
40年ぶりに灯すホワイトベアーの固形燃料。レトロチックな佇まいに、ゆるやかな泳ぐ炎に父を想う・・・