2007年7月31日火曜日

フランスの空気が入った?チョコレートクロワッサン・・・

その店の評判は前々から聴いていた。
フランスのパン屋で、特にショコラも、おフランスから輸入して飛びきり美味しいらしい。既に食べた同僚からの口コミ情報?でも上々、あれは一度は食べておいたほうがいいとのこと。

ついに今日、その店の近くの六本木で会議あり、ちょうどいい具合に時間が空いたので同僚と来店とあいなったわけである。
あるある、ショコラ、ショコラ、ショコラ、それにしても高い、やっぱり、おフランスは高いのだ。木村やのあんぱんとはわけがちがうのだ。
ちょっと古いけど、ツインピークスの、なんとか捜査官が好物のチェリーパイを前にして、 「私は今日はよく働いた、これはそのご褒美なのだ・・・」って劇中、繰り返し言っていたっけ。まさに、その心境、このショコラブレッドはまさに、ここのところ寝食忘れて働いた自分にとって、ご褒美さ!

しかし、しかしである。1口食べて、おや?・・・・2口食べて、え?・・・3口食べて唖然としたのである。チョコがほんの少ししか入っていない。ほとんど空洞じゃん!労働者をバカにするな!チョコをだせ!と叫びたくなる。それにしてもこれはひどすぎ、この空洞ってフランスの空気でも入っているの?まさか!

2007年7月30日月曜日

星の下で眠ると、なぜか泣きたい気分になる。

中村屋のインドカリーの缶詰。あーなつかしい!新宿の中村屋で見つけて思わず買ってしまった。
このカレーは、かつてのバイク・ツーリングでの定番食だった。

ツーリングって、最初は色々拘ってみるのだけれど、だんだん、削ぎ落として最後は、テントも張らず大きな岩の上に寝袋だけで寝るようになったりする。食事も同じで、当初は結構凝って色々やるのだけど、だんだんシンプルになってしまう。でもひもじいのは嫌なので、このちょっと高級な缶詰めということになる。
この缶を開けてそのまま、バーナーにかけてる。当時の缶はインドの女性の横顔のようなイラストで、バナーの火に照らされていい雰囲気、すぐにカレーのいい香りが漂い始める。ふきこぼれそうなカレーをスプーンですくってご飯にかける。ただそれだけのシンプルな食事だったけど、本当に美味しかった。
そして、食べ終わると寝袋を出して、後は夜空をみながら寝るだけ。

片岡義男の角川文庫「時には星の下で眠る」では、星の下で眠る登場人物が意味なくすすり泣くシーンがある。 ツーリングで相方の男に横ですすり泣かれてしまっては、わけがわからないが・・・実は、人は星の下で眠ると本当に泣きたくなることがある。悲しいとか切ないとかではない、なぜか涙が出てくるのだ。こればかりは経験したものでないとわからない。
そして夜明け前に夜露で一度目が覚める。するとなぜか、なつかしい人の夢をみたような気になったことがたびたびあった。こういうことこそ野宿の醍醐味だったような気がする。

久々に缶詰めを食べてみると、期待していほどではなかった。今は美味しいレトルトのカレーがある。だけど、あたりまえのことだけど、カレーは温めるときの香りがとても重要なんだ。ツーリングでレトルトだけは、どんなに食事をシンプルに削ぎ落としても食べなかった理由がそこにある。

2007年7月28日土曜日

東京音頭の重さ

今週は特に忙く、専門外の内容に苦戦につぐ苦戦。
こういう仕事の場合、Just Do it! ただそれをしろ!という気持ちでのぞむ。 あまり思考に捉われると、さらに深みにはまることが往々にしてあるからだ
考えることを半ば放棄するような仕事ぶりで、仕上がりが心配になるが、逆にこういうやり方も、功をさいすることがあるのだ。

実は今日の心配された会議も、意外にすんなりことが運んでしまった。 これも、ただ、淡々と会議用資料にとりくんだだけ。
意外な展開に気持ちが軽くなり駅に向うと、恵比寿の駅前は盆踊り大会で大変な賑わいをみせていた。
はぁ!踊り踊るなら ちょいと東京音頭 よいよい!
花の都の 花の都の 真ん中でさて
やーとなそれ、よいよいよい やーとなれそれ、よいよいよい・・・

実は、自分は「東京音頭」は踊れるばかりか、唄うことができる。 
これは小学校の先生から文言無用で覚えさせらたからだ。理屈ではなく、とにかく体で覚える、とりくむ。 そういうことをこの先生から3年にもわたり、嫌々ながら刷り込まれたことになる。
こういうことが、仕事に煮詰まったときのやり方に繋がっているとしたら、その担任に感謝しなくてはならない。( いつも先生は正しいのだ。) 人は多くの場合、考えて考え抜くことを疑わない。でも実は理屈に捉われずに、ただそれにとりくむことで前に進めることができる局面もあるのかもしれない。
そう考えてみると「東京音頭」自体が、まさにJust Do It!の精神そのものではないか。歌詞にも意味がない、おぼえ方に理屈はない、ただ単に踊るだけ・・・我々の先輩の何万何千万の東京都民は、戦前からこの「東京音頭」を無心になって唄い踊り、厳しい時代を乗り越えてきたのだ。そう考えてみると、この東京音頭ってとてもいい曲に思えたきた。

東京音頭を踊れてたことで・・・・そのほかで起きたことというと・・・
高校時代には学校代表で都民謡大会に出席させられて、都知事と記念写真。その中途半端な栄誉?に複雑な気分になったり、バブルの時代のクラブ(つまりディスコです)で、竹の子カバーに対抗して東京音頭をカバーして踊ると受けに受けて、ジョン・トラボルタの気持ちが少しわかったりと・・・すみません、最後が余計でした。

2007年7月26日木曜日

今日の1日模様

銀座で朝一の打ち合わせが済んで、時計をみると12時、東京駅から新幹線にのりそのまま出張。久々に晴れたこともあり、ちょっと東京駅まで歩いてみることにした。
ずーとここのところ梅雨っぽい空模様で、久々に晴れ間がのぞくと本当に気分がいい。空を見上げる回数がやたらに増えちゃう。

銀座通りを歩きながら、工事中のクレーンを発見。いつも思うのだが、内緒でベルトを引っ掛けて吊り上げてもらえないものだろうか。いつも大きな鉄鋼を持ち上げていておちるという話しはきかないのだから、人ひとりぐらいはらくらく安全に吊り上げられるだろうに。このクレーンに引き上げてもらって空を仰いだらどんなに気持ちがいいだろう。
そんなばかなことを考えていたら、なんとmatビルを発見!(実はMATSUYA)、空を見上げて手でひさしをつくり、ちょっと視界をさえぎるとmatになる。
どうでもいいこと2連発だが、仕事からしばし離れ。頭をほっとくと?どんどん、そういうことが次々に頭に浮かんできてしまう。
これって、ワンパク?モード?
おー空に雲が多くなってきた。銀座一丁目あたりで、ティファニーの時計を抱えた像をみてちょっと気分が暗くなる。
なんでこの人、腰を曲げて重そうな時計を世界中各地で持っているのだろう。せめてズボンかをなんかはけって言いたくなるし、みているとなんか腰が痛くなる人、絶対にいると思う。
気を取り取り直して京橋。またおー青空になってきた。京橋は実は青空に強い地域だ。かつてここの辺りに勤務していたからよくわかる。なぜって?それはこのビルのおかげ。曇るとこのビルが空を青くペイントしてくれるって、当時の同僚の白人がジョークを飛ばしていたっけ。白人が言うとお茶目、自分が言うと変。

新幹線に乗り込む前に、崎陽軒のシューマイ弁当を買う。この弁当、ワンパクのときから食べている。手前の魚と竹の子の煮付けがうまい。シューマイは最近ちょと味が落ちたかも。残念!
食事が終わると爆睡・・・・・・・・到着、
一応仕事人モードに切り替えてしゃんとして仕事、仕事、仕事。・・・

おわり。

2007年7月24日火曜日

漱石「こころ」に還る

おいおいーいまどき「こころ」かーと言われそうだが、日常のドロドロとした情緒的な葛藤にもまれた後に、無性にこの純で凛とした世界に身をどっぷり浸してみたくなることがあるのだ。
多くの人が中学の教科書の中で接すると思うが、実のところ中学生には100年早いって感じ。この本は大人でしか理解できない、今読み返しても今まで気がつかなかった思惑や意図がわかったりするのだから。(自分がトロイだけ?) ぜひ大人の感性で「こころ」を読み返してみてください。

手前の本は、今一番新しい装丁の「こころ」の集英社文庫。文庫の夏のキャンペーン仕様の装丁。このポートレイトがとてもいい。どこの誰だかは知らないが、夏仕様で3冊の文庫本の表紙になっている。久々に本のジャケ買いをしてしまった。とても綺麗な本ですから、なくなる前に書店で見てみてくださいね。僕は机の上で飾っている。
後ろは、漱石本人が想定に携わった大正3年の岩波の復刻本。この旧仮名で読むのがまた渋いんだ。いったん、これで読むと現代仮名は、吹き替えで映画を観ているようなものかも。オークションで腰が抜けるほど安かった。

2007年7月22日日曜日

MRIよりもまとも・・・

先週から仕事の効率が悪く、結局いつもの様に週末残業。
お題は一言で言うと、必要のないものをいかに欲しくするかってこと。セオリー通りでいけば抜ける企画もうまく抜けずに悪戦苦闘、やっと終わりが見えてきたら、朝方になっていた。

ちょいとブログでもみるかって、見回すと脳内メーカーっていうサイトが話題になっている。 http://maker.usoko.net/nounai/
なんでも、自分の名前を入れるだけで脳の中がばっちり見えてしまうっていうすごいもの。さっそくやってみたのがこちら、あんまり、ひどすぎ、週末も仕事におわれるワーキングプアーに対して失礼すぎ・・・・

でもなぜばれたんだろう・・・MRIなんかよりも正確化かー!

2007年7月21日土曜日

ホンダを信頼していい理由

暇を見つけては、古いバイクの修理をしている。
この部品は86年製のホンダのバイク(XLR250R)のブレーキ。
交換の必要とするほとんどの部品は中古を購入して整備して取り付けているのだが、ブレーキの部分だけは、なるべく新品に換える。この握りこぶしの大きさの部品に何度も命?をすくわれているわけだからね。やっぱり気をつかう。
そこでホンダの店から部品を注文するわけだが、巷の製品で20年近く前のモデルの補修部品って無いのが常識だけど、このホンダというメーカーはすごい、きちんと残っている。多くの製造業は、部品が無くて修理不能になってあらたに買い換えてもらいたいはずだなのに。バイクに乗る人こういうこと普通だと思っているけど、これは大変なことなんだ。
ホンダという会社の底力を感じるなーホンダは信頼していいメーカーだ。
特にブレーキとか走るにあたり安全に大きく関与する部分の部品は在庫があるケースが多い。とは言っても、今回の部品の1部は最後の24個のうちの2個だった。バイク屋のオヤジ曰く、「20年前のバイクなのに、まだお仲間がいるんだねー少しずつなくなっている・・・あぶないところだった!」
この補修部品を組み込み、バイクの取り付けると愛着はさらに増す。
はずした部品は、すぐには捨てずに綺麗に洗浄して缶に納めておく。いよいよ在庫の底がついたとき、その場の判断でリペアして使える可能性があるからだ。だからとにかく部品をはずすときも痛めないよう気をつかう。
この赤のシールを貼られたビニール袋は、ホンダの信頼の証。
この袋に入った新品部品をみると安心する。

2007年7月20日金曜日

記憶の棘

見知らぬ少年が忽然と現れて、自分は死んだ夫の生まれ換わりだと告白されたら・・・元妻はどう振舞うのだろう。当惑する主人公はニコール・キッドマン。その告白が真実味をもち始めると、周りの大人達はどんどん邪悪になり、真実を遠ざけようとしてしまう。対する少年が、どこまでも純粋であるのが対象的。

生まれ変わりを設定にした単純な恋愛映画としても楽しめるが、自分は本質的な大人と子供の深層での関係値の部分にとてもひかれた。大人は子供から羨望を期待しつつも、実は純粋さへの劣等感や子供のもつ未来に対する嫉妬など、本質は極めて複雑だと自分は常日頃考えているからだ。大人は大なり小なり、子供に対して潜在的なコンプレックスを持ってはいないか。まさにこの本質を浮き彫りにするような鋭さをこの映画の中に感じた。

キッドマンが少年に中の亡き夫を認めはじめ、二人で逃避行を企てるーこの辺りからクライマックスをむかえるが・・・

おそらく本当は、ここでこのストーリーは終わりかも。この後に映画界の暗黙のルールを思わせるモラル的な終焉がついているが。この辺りは、ご覧になっていない方もいらっしゃると思うので言及はしないが、ダウンタウンの松本が、テレビでの放送コードからくる表現の限界から逃れるために映画に走ったように、映画にもコードが存在していて、観るほうも、そこのところを差し引く必要が時としてある。モラルやタブーなどから、ラストを捻じ曲げられた映画は多い、原作でラストを見直したい。

さて、ニコールキッドマンだが、スレンダーな姿態がテーマとは異なった?邪念を生んでしまう。この人ってこんな素敵な女優だったけ?
映画の中で数箇所、サービスカットを思わせるシーンがあるが、少年がキッドマンのつかる浴槽に突然一緒に入って彼女を困らせるシーンがあるが、正直、子役をここまで羨ましくおもったことはない・・・かも。

2007年7月18日水曜日

人はバカをして利口になる・・・・

月に数回、明大前の教育機関で実習を兼ねた仕事をしている。構内で学生にすれ違うと挨拶されたりして、あきらかに講師と間違われていて、ちょっとわずらわしい。
かつては、こういうことを面白がって、間違われたまま、どんどん同化していったものだ。商社に行けば商社マン、TV局へ行けば制作マン、空港では旅なれたビジネスマンといったようにすぐに自分をよせていく、そんなことが楽しい時期が確かにあった。そして今にして思うと、そういう浅はかな行為も、決して無駄ではなかったと思える。今潔い自分を目指すにあたり、そういう若気の至りのようなことを通りすぎてきて本当によかったと思うのだ。

ちょっと早めに着いて教室に入ると、ひんやりした空気の中、部屋全体がトワイライトブルーに染まっている。
席について外をのぞくと遠景に新宿の高層ビル。
学生たちは、たいくつなゼミの合い間にこの新宿の景色をみて何を思うのだろう。
あのビルのようなところで、バリバリ働きたいそう単純に思えない奴は、自分に言わせるとだめだ。バイトをやれば、その職業に染まり化けきる、彼女が年上や金持ちなら足がつるほど背伸びして大人に化けないといけない。
想像力をつかって、そういうことを通りすぎてこないと、いつまでも化け続けなくてはいけなくなる。そのまま大人になるとチョイ悪オヤジになったりしてしまう。 歳をとっても化けなくてはいけない人生は貧しい。
人はバカをしていい時期があるし、それにより利口になっていくのだ。  そう実感をともなってそう思うのだが、それをうまく伝える方法を自分はしらない。

2007年7月17日火曜日

週末恵比寿に集まる音速の貴公子たち


ここは恵比寿の模型専門店のワンフロワーにあるスロットレーシングコース。
スロット(スロットル)レーシングは、昭和40年代に大ブレークした遊び、当時の元模型少年のリターンズとして、ちょっと前から波がきているらしい。自分も3年ほど前に会社の仲間と盛り上がったことがあった。

原理は極めて簡単で、32分の1のクルマにモーターを仕込み、コースから電源を受けて溝に沿って走るというもの。操舵はなく手元のコントローラーでアクセル操作だけが勝負となる、つまりヘアピンとかは微妙な減速しないとコースアウトしてしまうし、車体のチューンも重要、原理は簡単なのだが、奥が深い一面もある。

週末にはレースも開催され、みんなワンパクにもどって、音速の貴公子?をきどって楽しんでいる。ちゃんとレギュレーションもあり、車検の後にレースとなる。レースになると意外にみんな熱い・・・こういうワンパクっぽい遊び、好きかも。

2007年7月14日土曜日

台風で傘がひっくりかえってしまいました・・・

・・・ってなわけはなく、これはスタジオの広告写真の撮影時のスタンバイ風景。

営業スタッフに打ち合わせに行く前にスタジオによらないかと誘われた。
タレント目当ての駆け出しじゃあるまいし、用が無いのにスタジオに行くのは好かんというと、耳うちされたタレントの名前に「え!」鼻の下が地面に着くほど伸びて、いそいそとタクシーに乗り込むのであった。

広告の仕事ではぽちぽち、クリスマスの素材の撮影を始めている。今日もクリスマスの食品がらみにスチール撮影。
知った顔とクライアント様に挨拶、なんといってもスタジオではクライアント様が一番偉いのだ。挨拶が済むともうすることはない。
スタジオの隅で営業と二人スーツ姿で浮いている、な、なんと撮影の小休止に入ったタレントに丁寧に挨拶されてしまった。おいおいちょっとこれはまずい、クライアントの面前で、タレントにクライアントに間違われてしまった代理店マン程あほな存在はない。だからスーツでスタジオなんかに行きたくないんだ。
こういうときの営業っていうのは、さすがに空気の読みが鋭く、即効で、こちらは父兄席です。なーお父さん?ってオレに振る、いやいや、最近どうですかー叔父さん?って、もどし、ボケと突っ込みにもならない寒いやりとりで失笑をかう・・・なさけなし。

若い娘が、撮影の風景をケータイで写真を撮っている、これもご法度、スタッフにあるまじき行為。うるさいタレントだと、撮影中断しかねない。連れの営業スタッフが注意をすると、実はクライアント様が連れてきた部下だった。おーやってしまった!退場ぎりぎりの展開にどう切り返すか見物していると、数分後にタレントとその娘とツーショットを写真に撮っていた。百戦錬磨!すばらしき営業!

2007年7月11日水曜日

トミカを手のひらに・・・

小さい男の子のいる家を訪ねるとき、自分はポケットにトミカを忍ばせていく。
親がちょっと離れて男の子と二人になると、おもむろにポケットからトミカの箱を出して手のひらにポンと置く。ほとんどの男の子はトミカが大好き。ぱっと明るい顔になる。
指でクルマをはじいてスピンタウンさせる方法を教えてあげながら、
「トミカを缶に一杯集めてみろ!友達に自慢できるぞ!」と言う、そしてパパやママにトミカをねだるコツを密かに伝授。 (トミカは300円ぐらいなので、すぐ買ってもらえる!)

トミカが子供にとって衝撃的なのは、箱の実車の絵と中身のギャップだ。見せ掛けと中身の違いを思い知る。生まれて始めて-まぁこんなものかーと一発くらう感じだ。
でもそれを乗り越えて、自分の想像力でトミカで遊びつくすと、写真のような素敵なスバル360になる。すでに役目を終えたトミカ、いかにも幸せそうだ。

2007年7月10日火曜日

だまされるのが楽しい・・・・

横浜の山下町で見た横浜っぽさを感じる古いビル。近寄ってみると確かに古い建物なのだが、雰囲気をかもし出す肝の部分がペインティングが施されているフェイクなのだ。いわゆるTVや舞台美術の書割りのような演出だ。写真だとわかりにくいかもしれないが、両サイドの茶色のタイルは凹凸の影まで全てペイント。窓のひさしはホンモノだが、それ以外の窓まわりは全てペイントだ。
近くで観察して、あれ?ペイント?なーんだ!となる、ある意味うまくだましてくれる。わかったときに、ほのかな
洒落を感じるのがいいだまし絵かも。

かつては絶対受け付けなかったフェイクだが、なぜか加齢とともに余裕がでてきたのかーそれなりにだませれるのが、楽しいという気分になれるから不思議だ。

ちなみに欧米では、こうした演出はアートの一部として認められているらしい。ディズニーシーの造作もこうしたアーティスト集団による作品とのこと。世の中、ホンモノよりホンモノっぽくみせることを、ずーと研究している人にはかなわない。あっさりとだまされてしまう。だまされて楽しい。
安いビジネスホテルの部屋の障子が、朝になって明るくならないので、変だと思って開けたらコンクリートの壁だったーというのとはわけが違う。

2007年7月8日日曜日

目コミ?情報・大人の塗り絵

スタバではいろんな人が、いろんなことをしていて、自分の様なマニアック?な人間はとても興味深い場所の1つかも。
最近目についたのは、テーブルに色鉛筆をだして塗り絵をしている人。一心不乱に手首を動かし色鉛筆を操る姿は、とても楽しいそうにみえた。

大人向けの塗り絵が、流行っていることは知っていたが、おきまりの脳の活性、ストレス解消など、かなしい?効能書きが目に付いて試してみる気が起きなかったが、この口コミならぬ目コミにはいっきにモチベーションが上がってしまった。
色鉛筆の先は常に尖らせておくのだろうか、1冊を塗り終えるときの達成感は?などなど興味はつきない。


2007年7月7日土曜日

沖縄へ行ってきました!

・・・というのは嘘で、ここは代田橋の和泉商店街・通称沖縄タウン。
TVや雑誌でも取材されていて、結構有名かも。
ある斜陽?の商店街(失礼!)が、街おこしとして沖縄タウンになってしまったのだ。
行ってみると、これは普通の商店街なのだけど、中華屋さんは沖縄メニューを始めて、金物屋さんは、にわか沖縄土産やになっていたりする。酒屋は沖縄のお酒を積極的に

売っている。
雑誌やTVはトリミングがうまいなーという印象。 僕の目から見ると、別に沖縄にしなくても,ちょっと古い雰囲気のいい商店街にみえるけど。まぁ色々と事情というものがあるんでしょう、きっと。

写真は、その一角のアーケードにある、もっとも沖縄っぽい?景観の場所。手前が沖縄の食材の販売店、奥が食堂で、生まれて始めて、ソーキそばを食べてみた。3分間待てずに食べ始めたカップ麺のような味がした。ソーキそばってこんな感じ?

2007年7月4日水曜日

007 カジノ・ロワイヤルの変!

6代目のボンド役、ダニエル・クレイグが前作レイヤーケーキが、とてもよかったので、期待してDVDを借りたんです。 期待通り、めちゃくちゃクールでかっこいいのですが、内容が問題。
このシリーズは相変わらず、有色人種と女性に対する差別表現が気になっちゃうんです。
敵は必ず有色人種で、劇中とんでもない数が殺させる。馬に乗ったボンドガール(そもそもこんな所有物みたいな言い方が変)を黒人少年が意味なく群れをなしておいかけるシーンや、ベッドシーンでは女性が必ず尽くす方にまわるのも妙。007シリーズはいつもこの調子。 まさか、ダヴィンチコードや未知との遭遇のように何かハリウッドを使って思想の刷り込みをしようっていうわけじゃないとは思いますが。
今はF1だって黒人選手を迎えて、貴族の閉鎖的スポーツのイメージを払拭しようとやっき、実際はどうであっても、そのあたりはきちんとフラットさをアピールするもんです。それがオトナー!
007は、あまりに時代感性が失っているように思います。自分だけかなーこんなこと思っているの。

2007年7月3日火曜日

水越武の写真展へ


久しぶりに恵比寿の「東京都写真美術館」へ行きました。
水越武写真展「大地への想い」を会期ぎりぎりにみてきました。

近作を加えた200点あまりが展示されていました。穂高のオリジナルプリントもよかったのですが、なんといってもインドの山々を撮影した作品は凄かった。観ているとすーと身体の温度が下がるような清涼感?と心の中のもやもやとしていた問題点が、心の中で沈静化するような感じ(うまく表現できないんでが・・・)が素晴らしかった。
解説によると、この方は、子供の頃からすきだったものが繋がっていって今のこういうスタイルになったとのこと。子供の頃から視続けていた感性で切り取った景観を、彼が目になって、我々が体験できるのは、素晴らしいことのように感じます。作者として介入やメッセージ性などが抑えられて、スーとはいっていけるという点が神の業を感じます。

2007年7月2日月曜日

アウトドア・リターンズ!ケンタロウになる夏!

いよいよ7月になりましたが、今年の夏はリターンズで盛り上がりたいとひそかに思っています。
バイクやサーフィン、フィルムカメラと・・・などリターンズネタは多いのですが、まずはアウトドア・リターンズを目指します。

アウトドアの王道というとBBQということになるけど、実はあれはあれでいいけれど、とにかく夏は暑い。それに帰りにクルマの中で、異常にのどが乾き、口のどこかが必ず火傷してヒリヒリしているような感覚があまりすきじゃないんです。
僕はこのバナーを使って、現地のスーパーで食材をみて、パスタとか中華を普通に造って食べてました。
大勢もいいけれど、なるべく少ない方が実はいい。料理も楽しめるし、会話も都会の穴蔵のようなレストランで交わす会話とは全く異なる、無口の人が急に多弁になったり、いつもは勢いのある人が泣き上戸?になったりして不思議。 僕は相手の話しを外だとじっくり聴けるようなところがあって、とてもいい時間でした。

このコールマンのツーバナーは、今はぼろぼろですが、10年以上前は自分にとって、そうした時間を過ごすための大切な道具でした。
ボロといえば、料理関係の現場でみたツーバーは、とんでもないぐらいボロでしたが、そこから(プロだから当たり前ですが)魔法のように美味しい料理が次から次へと生まれてくるんです。とても素敵な道具に見えてきて・・・だから、ツーバーナーは料理をつくっただけ美味しくなるーと思うのですが。

本日着火テストも無事完了。 さびを落として夢中で磨いたら少しはましに・・・
この夏、このボロツーバナーで、アウトドアクッキング・リターンズ!
空の下でケンタロウになるんだ!