2007年7月18日水曜日

人はバカをして利口になる・・・・

月に数回、明大前の教育機関で実習を兼ねた仕事をしている。構内で学生にすれ違うと挨拶されたりして、あきらかに講師と間違われていて、ちょっとわずらわしい。
かつては、こういうことを面白がって、間違われたまま、どんどん同化していったものだ。商社に行けば商社マン、TV局へ行けば制作マン、空港では旅なれたビジネスマンといったようにすぐに自分をよせていく、そんなことが楽しい時期が確かにあった。そして今にして思うと、そういう浅はかな行為も、決して無駄ではなかったと思える。今潔い自分を目指すにあたり、そういう若気の至りのようなことを通りすぎてきて本当によかったと思うのだ。

ちょっと早めに着いて教室に入ると、ひんやりした空気の中、部屋全体がトワイライトブルーに染まっている。
席について外をのぞくと遠景に新宿の高層ビル。
学生たちは、たいくつなゼミの合い間にこの新宿の景色をみて何を思うのだろう。
あのビルのようなところで、バリバリ働きたいそう単純に思えない奴は、自分に言わせるとだめだ。バイトをやれば、その職業に染まり化けきる、彼女が年上や金持ちなら足がつるほど背伸びして大人に化けないといけない。
想像力をつかって、そういうことを通りすぎてこないと、いつまでも化け続けなくてはいけなくなる。そのまま大人になるとチョイ悪オヤジになったりしてしまう。 歳をとっても化けなくてはいけない人生は貧しい。
人はバカをしていい時期があるし、それにより利口になっていくのだ。  そう実感をともなってそう思うのだが、それをうまく伝える方法を自分はしらない。

2 件のコメント:

そのちゃん さんのコメント...

バカをして利口になる・・・
私は何をしても不器用だったし
上手に生きている人がうらやましかったな。
バカをする余裕も持ち合わせていなかったかも。
利口になれたかどうかは分からないけど
いちおう人から見て?大人にはなれました。

mat さんのコメント...

最近おもうのですが、すべて対比の問題だと思うのです。幸せをかみ締めるには、つらさを経験していないと、幸せ自体がなんだかわからなくなってしまいますから。
バカをすると、バカな人を許容できるし、自分は脱出しなくてはーっていつか気がつくからこれもある意味対比の問題かもしれません。