2007年7月20日金曜日

記憶の棘

見知らぬ少年が忽然と現れて、自分は死んだ夫の生まれ換わりだと告白されたら・・・元妻はどう振舞うのだろう。当惑する主人公はニコール・キッドマン。その告白が真実味をもち始めると、周りの大人達はどんどん邪悪になり、真実を遠ざけようとしてしまう。対する少年が、どこまでも純粋であるのが対象的。

生まれ変わりを設定にした単純な恋愛映画としても楽しめるが、自分は本質的な大人と子供の深層での関係値の部分にとてもひかれた。大人は子供から羨望を期待しつつも、実は純粋さへの劣等感や子供のもつ未来に対する嫉妬など、本質は極めて複雑だと自分は常日頃考えているからだ。大人は大なり小なり、子供に対して潜在的なコンプレックスを持ってはいないか。まさにこの本質を浮き彫りにするような鋭さをこの映画の中に感じた。

キッドマンが少年に中の亡き夫を認めはじめ、二人で逃避行を企てるーこの辺りからクライマックスをむかえるが・・・

おそらく本当は、ここでこのストーリーは終わりかも。この後に映画界の暗黙のルールを思わせるモラル的な終焉がついているが。この辺りは、ご覧になっていない方もいらっしゃると思うので言及はしないが、ダウンタウンの松本が、テレビでの放送コードからくる表現の限界から逃れるために映画に走ったように、映画にもコードが存在していて、観るほうも、そこのところを差し引く必要が時としてある。モラルやタブーなどから、ラストを捻じ曲げられた映画は多い、原作でラストを見直したい。

さて、ニコールキッドマンだが、スレンダーな姿態がテーマとは異なった?邪念を生んでしまう。この人ってこんな素敵な女優だったけ?
映画の中で数箇所、サービスカットを思わせるシーンがあるが、少年がキッドマンのつかる浴槽に突然一緒に入って彼女を困らせるシーンがあるが、正直、子役をここまで羨ましくおもったことはない・・・かも。

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