2007年6月16日土曜日

親孝行はしなくてもいい

父親を亡くし、もっと優しくしておけばよかった、親孝行が足りなかったと繰り返す知人。
それは違うよーと言いかけてやめました。
人は、自分だけで気が付き定着すべきことがあると思ったからです。

自分は生前、父親と折り合いがよくありませんでした。 いわば男の照れのようなものがお互いあって、なんかちょっと距離をおいたまま死別したのです。知
当初は知人と同じで、それを深く後悔したのですが、今振り返ると、生前より今の方が父のと親しいと実感できる、死に別れてこそ、和解できたことが多いと気が付きました。
その時できなかったことが、今違う形でできる、これが人生なのかもしれません。そこで悔やみに捉われると、負に振れるだけのような気がします。

写真は、先日父の蔵書の整理をしていてみつかった幼少の頃の写真。この写真をみて感じるのは、あの父が腰をおり目線まであわせきりとった愛情、伝わってくるのは優しさ、ブログのプロフィールに使おうと思って複写拡大すると、サングラスに若き父と母の優しい表情がかすかに移りこんでいて、思わずPCの画面に触れたくなるほど強く心を動かされました。
こうしたことで、自分は父と様々な対話や交流をしているような感じを受けるのです。それは、生前の対面とは異なるけれど、これも明らかに対話であり、こうしたことでさらに絆が深まるものなのかもしれません。そしてそれは、ある種のせつなさとともに心に定着するのです。

こうした実感は、親孝行は強く意識しなくてもいいのではないかーということにつながっていきます。
自分が親からしてもらったことの、一体どのくらいを自分の親に戻せるというのでしょうか?感謝はしながらも、それがほんのわずかだとしたら、親孝行なんておこがましい、それは親ではなく、次の世代にかえす:してあげればいいって、自分はこうした実感とともに思うようになったです。
生前父親も、親孝行を妙に遠ざけるところがあった。なんて人だーと当時は思ったけれど、今にして、その本質が少しわかったような気がします。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

私も最近、似たようなことを考えてました。私の場合はもっと複雑な父子関係ですが(そしてまだ生きてますが)、子供の頃はちっとも分かっていなかったことが、今になって分かってくる、というような。そしてそのことを切なく温かく感じ、でもそれを返すんでなく自分の子供に同じことをして還元してあげればいい、とそういう気持。
本当に写真て撮った人の気持が現れる気がしますね。温かい写真です。

mat さんのコメント...

サリーさん
この話しは、わかる人、わからない人が本当にきれいにわかれるんです。サリーさんにわかってもらって嬉しいです。
普通は親孝行って疑わないんですよ。でもそれに捉われすぎると、いずれ親を恨むようなことになりかねない。それこそ親不孝かもしれないです。