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2014年6月1日日曜日

この本は踏絵 女のいない男たち

この短編集、少なくとも私も周りでは評価がよろしくない・・・
人が本を手にして、それがとるにたらないと評するとはどういうことかー実感がわかない、たいくつ、何を言いたいのかわからない・・・などなど
では、逆に評価するとすると、キモチがわかり、共感する体験をもっていてーということになるのかも・・・。
そんな理屈で考えると、評することで考えや気持ちまではあらわになってしまう・・・そういう意味でこれはちょいと危険な本かも知れぬ。
たとえば夫婦間で、是非に分かれた場合、お互い相手の感覚にちょっと疑いや懸念をもつやもしれない。


私自身は、他人の評価に期待を持たず、手にしながら、読み終えてとても充実した時間を持てた。
でもある特定の方から、問われたらら・・・・あんまりよくなかった・・・と答えておくかもしれない。

2012年9月1日土曜日

ルール001 本を大切にしない

古本屋で文庫本を手に入れ、まずは表紙はさっさと捨ててしまう。
読み始めて、これは最後までいけそうもないと感じると、潔く処分する・・・・本も最後の役目を果たそうと必死?になる、最後まで読める本は5冊に1つぐらいだろかーこっちもよい本にめぐりあうために選ぶときは構える。
海外のちょとふるめの本は、前半で読者をためす?ようなところがあるから、要注意。読みにくい前半を通りすぎて悦楽?が待っているから、読み続けるかどうかの見極めはちょっと難しい。

本は大切に!という世代だかが、私の最近の本との付き合いかたは乱暴そのものだ。
本を大切にして本棚に綺麗に並べて浅いつきあいより、短時間でもよいから深いつきあいを好む。
その乱暴さの中で、本との素の付き合いがあり、それが古本文庫本の最後の役割でもある。

楽しませてくれた本は、思いっきりぐっと握む。本へのネギライのつもり・・・

2010年7月8日木曜日

死ぬな活きろ 藤原新也の新刊

心を捨てると見えてくるもの聴こえてくるもの・・・と帯に記されている。
私はこの本を手にすると、なぜか涙がでてきてしまった。
藤原さんのメメントモリ:死をおもえーはある意味難解な本で、これを手にした80年代はすぐ投げ出してしまったけれど、時を重ねながら時々この本を手にすると、すっと入っていくるーっていうのか、それはまさに加齢とともに見てくるもの、聴こえてくるものがあったという感覚。そしてそれらは、自分にまとわりついては離れなくなる・・・
私はこの本もきっと自分に、そういう境地を示してくれるものだと直感する。誰にでもおきることではないけど、私にはおきると、はっきりわかる・・・

2010年3月10日水曜日

波載りの島 片岡義男

逢いたい、いつか逢いたいと思っていると必ず逢えるーという人がいる。
本も同じだと思う。ずーと探してはいるけれど、なかなか手に入らない本というのはあるものだ。けれども、ずーと探し求めていると、ふっとしたきっかけに目の前に現れたりするから不思議だ。
この本も、新刊で買いそびれ、ずーと探していたけれどめぐりあわなかった本。
先日新宿の地下街での古本市を眺めていると、背表紙が強烈に存在感をあらわにしていた。

片岡を読むと80年代が頭の中を駆け巡る・・・悦楽的なことも二度と繰り返したくないことなどなど、ものすごいスピードで頭の中を駆け巡って、結果的に切ない方にふれてしまうので最近はあまり読まないようにしている。むしろヨボヨボの爺さんになったときのためにとってある?
この本もパラパラめくっただけ・・・そしたら砂がパラパラと落ちてきた。あー昔、海までいって本を読んでいる人っていたなー80年代って自分の中ではそんな時代だ。

2009年11月18日水曜日

古い友人との再会


ずっと本を読んできたが、内容をどんどん忘れている。でも一応気に入った本だから今でも本棚にあるとすると、読み返してもきっと楽しいはず。少なくとも洪水のような新刊本を宝くじでも買うような気で選ぶよりは気がきいている。
読み返すと、ところどころ思い出して古い友人に逢っているような気になるから不思議。


この本は、小学生の時の本で、アメリカのSF「Lost in Space」の原作。邦題でTVドラマシリーズがあったので覚えている方もいるかもしれない。
当時相当読み込んだ本で、最近本棚の奥からでてきた。
さっそく読み返すと、まさに小学生時代の友達に再会したような気分になる。

登場人物のロボットのプラモデルは最近求めたもので、旧友との再会記念?だ。
再販もので当時の雰囲気もそのまま。古びた絵が気にいっている。中を見ると、その仕上げにがっかりすること間違いないので、そのまま未開封のまま飾っている。

2009年9月19日土曜日

コスモスの影にはいつも誰かが隠れている ー藤原新也

神保町で行われた藤原新也のサイン会に出かけてきた。
作者のサインにどれだけの価値があるかはわからないけれど、わずかの時間、作者に対面できることは魅力だ。ご本人のイメージからするとサイン会というふうではないのだけれど、ご本人のブログには読者の顔を見れる好機と記されているのだから、まんざらでもないのかも。

大変な賑わいーそれは、今回の「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている 」は東京メトロのフリーペーパーに連載されていたものの再編で、新たな読者層がなだれこんだということだろう。
階段3F分列がならび、大方この本を読んでいる。半分ぐらい読み進むと、ご本人に対面ということになる。階段3層分が同じ本を読み進んでいるっていうのは不思議な光景でもある。

私は藤原さんほど眼光が鋭い人を知らない。1瞬目をあわさる瞬間があるのだが、この形容しがたいわずかの時間ー。何か一言二言会話を交わしたい衝動にかられるが、このさすような視線でいつもなえてしまう。

2008年4月14日月曜日

サン=テグジュぺリ 夜間飛行 南方郵便機

何度も読みたくなる本がある。
同じ本を読み続けることを不可思議に思う人がいるらしい。
自分にとっては、本は繰り返し読み深めていくものー音楽だって同じだ。

この2冊は、とても読みにくい本、 文体は古く、本筋から延々と蛇行をしていく展開も忍耐が必要かもしれない。
でも、そうした混迷の文節の中から、輝る美しい叙事詩のようなシーンにめぐりあえる。自分はそこを手繰り寄せるように何度も読みふける。

飛行士のクールで孤独な世界観、飛行機を擬人化するシーンや無線や計器に関する描写がちりばめれていて、バイクや無線ロマン?に共鳴するのだが、特に「夜間飛行」のパタゴニア線の郵便機が嵐に遭遇するシーンが絶妙。
四方八方を嵐にいく手を阻まれ、天空に認めたかすかな星の光に吸い上げれるように機を上昇させると、そこは嵐とは打って変わった月の白い光の世界、美しさと静けさに包まれる、しかし燃料は後半時間・・・ 自分が何度も何度も読み続けている好きなシーンだ。

2007年9月2日日曜日

「ピカソと愛犬ランプ」とライカM3

ピカソ家には2匹の犬がいたようですが、ランプはアトリエに入れる唯一の犬。
この写真集にはピカソとランプとのゆったりした優しい時間が、今もモノクロームの世界の中で静かに生きづいている感じがとてもいいんです。
最近出たばかりの写真集なので、ぜひ本屋さんで見てみてください。
ピカソがウサギを紙を描いた手製のおもちゃと、このランプが戯れたりしています。もし、このウサギが今あったら一体どのくらいの価値があるのか・・・なんて野暮なことを考えてしまいました。

1957年製のライカM3、いい写真集を見ると出していじりたくなります。1年以上前に表面の皮がパリパリとはがれてしまって遠ざかっていたんです。ついに週末にネットでキットを買って治しました。思ったよりうまく張り込むことができました。
凛々しい姿で復活したM3、ちょっと嬉しくなったので、写真集と記念撮影。ちなみにこの写真集もライカで撮影されたものです。
このM3で近々フィルムカメラ・リターンをはかりたいと思っています。
このライカで、ここ一番の傑作が撮れたら写真は上がり?って決めているんですが、一体いつのなることやら・・・

2007年8月6日月曜日

暮らしの手帖


最新号の暮らしの手帖を手にとってみる。

ご存知の方が多いだろうが、この雑誌は一切広告がない。企業の広告収入に頼ると記事に影響がでる。巷の雑誌の製品比較など、この雑誌のやり方に比べれば茶番もいいところかもしれない。それでも雑誌というのは企業が広告を買い、記事原稿の一部を操るというビジネスモデルであるから、暮らしの手帖が変わっているだけのことなのだけど。

最近この雑誌が売れていると聴く、理由はちょっと路線を変えて、いわば大人のクウネルみたいなソフト路線にしたことによるらしい。クウネルでエコカーの記事はトヨタになるが、暮らしの手帖は、カルフォニアの植物油で走るクルマの話題になる。ここが、この雑誌の知的でおもしろいところだ。

最新号は、大好きケンタロウがカレーのレシピを公開している。レシピもさることながら、カレー好きの人の書くエッセイのようで楽しい。巻頭の特集はなんと、ふりかけだ。このふりかけだけでも永久保存版っていう感じだ。
そして、この記事で目が留まる。夏の下着、女性下着の話しなので内容は全く興味はわかないが、目が留まったのがこのフランスの写真家のポートレイト。ブラウスに黒の下着が透けている。なんとも色っぽい。久々にすごい写真をみた。これは暮らしの手帖流の男女に効く?グラビアか。やっぱりすごい雑誌だ。

2007年7月24日火曜日

漱石「こころ」に還る

おいおいーいまどき「こころ」かーと言われそうだが、日常のドロドロとした情緒的な葛藤にもまれた後に、無性にこの純で凛とした世界に身をどっぷり浸してみたくなることがあるのだ。
多くの人が中学の教科書の中で接すると思うが、実のところ中学生には100年早いって感じ。この本は大人でしか理解できない、今読み返しても今まで気がつかなかった思惑や意図がわかったりするのだから。(自分がトロイだけ?) ぜひ大人の感性で「こころ」を読み返してみてください。

手前の本は、今一番新しい装丁の「こころ」の集英社文庫。文庫の夏のキャンペーン仕様の装丁。このポートレイトがとてもいい。どこの誰だかは知らないが、夏仕様で3冊の文庫本の表紙になっている。久々に本のジャケ買いをしてしまった。とても綺麗な本ですから、なくなる前に書店で見てみてくださいね。僕は机の上で飾っている。
後ろは、漱石本人が想定に携わった大正3年の岩波の復刻本。この旧仮名で読むのがまた渋いんだ。いったん、これで読むと現代仮名は、吹き替えで映画を観ているようなものかも。オークションで腰が抜けるほど安かった。

2007年5月28日月曜日

本日の1冊 クール・ルールズ

「クール・ルールズ」 クールになるための指南書ではなく、クールと呼ばれる属性や特性の研究本。世代によるクールの定義の変貌、クールな性格のかかえる矛盾など興味深い。例えばポーカーはクールなゲームといわれているが、実は相手を精神的に追い詰め、金銭的に征服していく、そういう意味では人との干渉を避ける超個人主義的なクールさとは対極的なゲームといえる・・・など。
クールには、しかるべき品性が必要とのこと。クールには、かすかな憧れがありながら、品性といわれてしまっては、もはやうつ手もない。

自分は本にカバーをする習慣がない。読み終わった後に本棚で自然に汚れていくより、本を読む時に装丁や手触り、デザインに触れるのが、本来ではないかと考えているからだ。
この表紙をみよ!ジェームスディーン様だ。電車の中で読んでいると、OLが表紙をみて、自分をちょっとみて、また表紙をみる・・・いやいや僕は別にクールになりたいわけではありません!ってひとりよがりな言い訳をしたくなる。クールじゃないばかりか、いけてないって感じ。

クールといえば、Rさんのブログのリンク欄に以前はクールなと紹介してくれていたのが、最近、気が付いたらホットなになっていた・・・どっちかというとクールな方がよかったような気がする
。