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2009年12月5日土曜日

映画の日の暖かい体験。


映画の日に豊島公会堂で記念上映会「秋刀魚の味」を観てきた。小津監督の映画を銀幕で見れる好機とばかり会場に向かうと、そこにはかなり古い公会堂に集まるはシニア層の方。
小津ファンは1カット1カットの演出や意図を掘り下げるように見入るが、このかたがたは小津安二郎にはまったく興味がなく、単純に古い映画を楽しみにきた方々だ。小津ファンとしてはここはしっとりとする見せ場シーンに大笑いとツボが違う、若い名優の登場にため息・・・などかなり調子を崩される。それでも半ばにして、あーこれが本来の小津映画の姿なんだと思うにいたった。当時若年だった方々が当時映画を楽しむ自然の姿で今映画を楽しまれて、自分のその中にいる幸せ・・・最後はご年配の方々と同じシーンで大笑いしていました。
最新の映画館にはない暖かい空気、まさに映画の日ならではのとてもいい体験でした。

2008年12月1日月曜日

サインをみすごすな!


いよいよ12月ーいやー今年1年は結構しんどいことが多かったです。
少し流れをかえないとーなんて真剣に思っています。


「サイン」って映画知ってますか?スリラーかと思いきや、次々と兆候があり現象がある、しかもその現象があまりに奇抜なので実はあまり評判のよくない単なるB級UFO映画っていう人も居るのですが、僕にはちょっと違うように感じたんです。
この映画のテーマはサイン、人の人生の全てはサインで決まるー重要な局面では誰にでもサインはでている。くだらない奴は、このサインを見過ごす。サイン:兆候をきちんと見極めて、自分の歩み道を決めろーってこの映画は示しているような気がするんです。

ここのところ邪念?が多かった。それで自分はサインを気に留めていなかった。それもひとつの流れだからしかたがない、卑屈にならずに来年は飛躍の年にしたいと思います。

新宿のショウウインドウに張られていた、トナカイ。キラキラ輝って綺麗でした。この飛躍のポーズをみていたら、ふっとこんなことを考えていたんです。これもサインかなー飛躍しろって!サインをみすごすなってー

2007年8月15日水曜日

のれない?「地下鉄にのって」

正月映画が寅さん、ならお盆に観る映画っていうのもあっていいかも。
この「地下鉄にのって」は雰囲気的には?お盆にぴったりではないかと思って観てみてみました。

恩師との再開がきっかけになり、戦中後、60年代へタとイムスリップして、父の真実の姿を知る。
人気のない地下鉄のホームひとり、確かにちょっと何か起こりそうな、すきま観?を感じます。地下鉄から白昼夢的に過去にもどるっていうイメージはとてもよくわかる。

父はおろか、兄弟の死、恋人の母などタイムスリップで様々な真実が交差する。
浅田次郎っぽいというかー次から次とカードをひっくり返すようにことが起きるんですが。自分としてはちょっとついていけないって感じ。刺激を強すぎてドラえもんのタイムとラベルものを観ているよう。
寸止めのストーリー展開、演出、しっとりした描写でこそいきるテーマだと思います。
この浅田節は、映画の作りかたでおぎなえる部分もあるはずなのにちょっと残念でした。
亡き人を想う、改めて知るということは、こういう確信的、タイムスリップのようなことではなく、もっとしっとりして、想いと迷いの不確実の中をさまよいながら、やがて氷解するのが本来じゃないかなー。 それに過去の純朴な姿を観ないとその人と和解できないなんて悲しすぎる。視てわかることは消えやすい、感じてわかることの方が、はるかに深いし尊い。

この作品は私の原点です。浅田次郎

気持ちとして、わかったとしても浅田の白昼夢?として胸にしまっとくようなものだったかも。
そもそも、あのときに戻って・・・というのは戦火をくぐりぬけてきた、何千、何万もの先輩の方がかなわぬ夢と、過去と一緒に懸命にがんばってきたわけですから、こんな稚拙なストーリーの中だけで表現させてはいけないと思うのです。
最近の浅田は、ちょっと????です。

さらに、浅田には、しばし物語の中でとことん不憫な人が登場しますが、今回も、主人公の恋人役がそれにあたり、自分としては展開に違和感をもってしまった。 岡本綾の不憫さに涙・・・・(実はファンです・・・)

2007年7月20日金曜日

記憶の棘

見知らぬ少年が忽然と現れて、自分は死んだ夫の生まれ換わりだと告白されたら・・・元妻はどう振舞うのだろう。当惑する主人公はニコール・キッドマン。その告白が真実味をもち始めると、周りの大人達はどんどん邪悪になり、真実を遠ざけようとしてしまう。対する少年が、どこまでも純粋であるのが対象的。

生まれ変わりを設定にした単純な恋愛映画としても楽しめるが、自分は本質的な大人と子供の深層での関係値の部分にとてもひかれた。大人は子供から羨望を期待しつつも、実は純粋さへの劣等感や子供のもつ未来に対する嫉妬など、本質は極めて複雑だと自分は常日頃考えているからだ。大人は大なり小なり、子供に対して潜在的なコンプレックスを持ってはいないか。まさにこの本質を浮き彫りにするような鋭さをこの映画の中に感じた。

キッドマンが少年に中の亡き夫を認めはじめ、二人で逃避行を企てるーこの辺りからクライマックスをむかえるが・・・

おそらく本当は、ここでこのストーリーは終わりかも。この後に映画界の暗黙のルールを思わせるモラル的な終焉がついているが。この辺りは、ご覧になっていない方もいらっしゃると思うので言及はしないが、ダウンタウンの松本が、テレビでの放送コードからくる表現の限界から逃れるために映画に走ったように、映画にもコードが存在していて、観るほうも、そこのところを差し引く必要が時としてある。モラルやタブーなどから、ラストを捻じ曲げられた映画は多い、原作でラストを見直したい。

さて、ニコールキッドマンだが、スレンダーな姿態がテーマとは異なった?邪念を生んでしまう。この人ってこんな素敵な女優だったけ?
映画の中で数箇所、サービスカットを思わせるシーンがあるが、少年がキッドマンのつかる浴槽に突然一緒に入って彼女を困らせるシーンがあるが、正直、子役をここまで羨ましくおもったことはない・・・かも。

2007年7月4日水曜日

007 カジノ・ロワイヤルの変!

6代目のボンド役、ダニエル・クレイグが前作レイヤーケーキが、とてもよかったので、期待してDVDを借りたんです。 期待通り、めちゃくちゃクールでかっこいいのですが、内容が問題。
このシリーズは相変わらず、有色人種と女性に対する差別表現が気になっちゃうんです。
敵は必ず有色人種で、劇中とんでもない数が殺させる。馬に乗ったボンドガール(そもそもこんな所有物みたいな言い方が変)を黒人少年が意味なく群れをなしておいかけるシーンや、ベッドシーンでは女性が必ず尽くす方にまわるのも妙。007シリーズはいつもこの調子。 まさか、ダヴィンチコードや未知との遭遇のように何かハリウッドを使って思想の刷り込みをしようっていうわけじゃないとは思いますが。
今はF1だって黒人選手を迎えて、貴族の閉鎖的スポーツのイメージを払拭しようとやっき、実際はどうであっても、そのあたりはきちんとフラットさをアピールするもんです。それがオトナー!
007は、あまりに時代感性が失っているように思います。自分だけかなーこんなこと思っているの。

2007年5月6日日曜日

「世界最速のインディアン」にみるWanpaku度

アンソニー・ホプキンス演じる主人公のワンパク度といったら凄まじい。アメリカに渡りレースで世界最速になる夢しか頭にない。人の言うことにまったく聞く耳をもたない、そもそも人の目というものが全く気にならない。そのボケぶりは天然か、意図があるかさっぱりわからない。目だけがきらきらしていてかえって不気味な64歳。まさに大人のワンパクでありながら、夢1つという潔さがとても心に響いた映画だった。

時々めぐりあう、ちょっと背中をおしてくれるような映画だった。 ここのところ、散在していた雑念が、単純に「潔」という言葉で集約できたのが不思議。そう自分は襟を正して老いるより、WANPAKUで潔く枯れて?いく・・・つもり。